1つの季語を巡って、上原・若洲がそれぞれ考えていることをざっくばらんに書いていく「ゑひの歳時記」。普通の歳時記には書かれていない季節感や季語の持つ魅力、難しさなどをお伝えしていくコーナーです。7月第2週のお題は「十薬」。若洲が出したテーマに対して、上原も考えます。
上原の場合(回答者)
ドクダミとはつくづく損な名前である。一説によれば「毒をダミする」が語源という。ダミするの表記は「矯する」=矯正という言葉もあるとおり「制御する」の意味、つまり、毒を取り除く草ということから、近世以降そのように呼ばれるようになったらしい。似た呼び方で「毒溜」とも。それ以前には「蕺」「蕺薬」、古くは「ヒブキ」とも呼ばれ、食べた味のシブさから名づけられたのではないかとされる。
異名が多く「十薬」とも呼ばれる。現在NHKの朝ドラでご活躍中の牧野富太郎先生によれば、蕺薬の「蕺」と「十」の響きが似ていることから難字を避けて「十薬」と表記されるようになったとか、江戸時代の儒学者であらせられる貝原益軒先生によれば、馬に与えると10種類の病を治す薬草だからだとか、中国での異名「重薬」が転化したのだとか、こちらも諸説あるようだ。
関東・東北地方では「地獄蕎麦」、大分県の別府では「シビトグサ」(確認できなかったのでカタカナで表記するがどう考えても「死人草」)などとも呼ばれる。地獄に到達せんばかりの地下茎の繁殖力、蕎麦に入れたら地獄のような味だったのかもしれない渋味や苦味、そんなところが由来だろうとは想像した。「オナラグサ」「犬屁」は言わずもがなの臭いから。ドクダミを引き抜いた経験、筆者はあるが、いやそれはもう。人間の思考を停止させるには十分な破壊力に対し、オナラグサは言い得て妙と賛同したい。「医者殺」は生薬として、その薬効からの命名だろう。
中国の雲南省やタイ、ベトナムなどでは、地下茎をサラダにして食べる。日本のドクダミより、においが強くなくて食べやすらしい。日本でも、食料不足の時代には煮て食べたという。終戦直後の東京には本当に食べるものがなくて、その辺に生えている雑草のアカザばっかり食べていたと先人から伺ったことがあるが、それは時に、その辺に生えるドクダミであったとも考えられよう。
どくだみを抜くどくだみが好きだつた 上原温泉
筆者がドクダミをはじめて意識化したのは、まだその臭いを知る前、俳句も始める前、であったが、ある時何かの弾みで繁殖してしまったのだろう、都心の小さな区画に、びっしりと繁茂したそれが開花していて、美しさに目が止まった。ドクダミが生えると他の植物は駆逐されてしまうため、皮肉なことにその統一美たるや素晴らしく、まるであらかじめ整えられたかのように見事な、一面のドクダミであった。
それがある年、忽然と消えてしまった。聞けば除草を依頼された業者が、ドクダミを雑草と認定し、除去してしまったという。ああこれでこの区画の持ち主は来年から、無作為に生えてくる他の雑草に難儀することになるのだろうなと同情した。その後その場所にドクダミが生えることはなかった。
ただし、生えることはなかった……とイイ感じにまとめることができたこの話は希有なケースらしい。地下茎は、地獄ではなくて現世の地下を縦横に這い回り、都心であればその住宅事情の厳しさとの共存は困難を極め、ドクダミと園芸家の格闘ぶりはブログなどでも日々発信されている。かようにドクダミは、有益であるが有害でもあり、その花は美しいが可愛げはなく、楚々としながら同時に不貞不貞しい。
掲句を自句自解するなら、人間にとってはそのように複雑かつ矛盾に満ちたドクダミという植物の存在そのものを、包括的に掴もうとして得た一句ということになろうか。まぁそう力まずとも筆者は、ごく単純にドクダミの花が好きである。暗がりでは相対的に目立っている白が、勝手に視界に入ってくる強引さ、そのわりに謙虚な姿形とのギャップも気に入っている。実は臭いというオチもなんだか笑えて。
十薬の間に制帽を忘れ来し 若洲至
ドクダミの美点に集中した一句。若洲にも、ドクダミに対する愛情がまだ残っているようだ。若洲が都内に庭付き戸建住宅を購入する予定があるかどうかは知らないが、せめてそれまでは今の優しい気持ちを保ち続けて欲しい。
ドクダミを美しく詠み込むときは、断然「どくだみ」ではなく「十薬」としたほうが伝わりやすいと思う。ドクダミだと響きが強すぎるし、十薬の「十」はそのまま、4枚の白い苞の形を思わせて美しいから(実はあれ、正確に言うと、花びらではないのです)。
点在する花付きをまずはしっかり見せることが、この句においては必須。だって花がまばらだから座りやすいわけで。制帽を忘れてきたからには主体は学生、つい先ほどまでそこに座っていたか寝転んでいたのだろう。人が踏んでもダメージを受けない頑丈な質感も伝わってくる。うっかり制帽を忘れてしまうような、悩ましき考え事でもしていたのか。日陰を好む十薬の植生を思えば、想像の矛先は向日性には向かわない。若き鬱屈の透き通るような脆さ、それを思わせるのは、十薬の形が十字架を連想させることとも無関係ではないだろう。どこか禁欲的な句全体の印象もまた、その連想に関わるように感じる。
十薬の蕊高くわが荒野なり 飯島晴子
好きな俳人はたくさんいるのだが、筆者が結局戻って来てしまう俳人は飯島晴子である。自身の文体を得たくてその参照に、とか、昨今の俳句の流れを鑑みて、とか、邪念はいつも心にあるけれど、飯島晴子については、もうそういうことじゃない。世界に、晴子の句と自分しか居なくなる感覚。読むときは、自分が俳句を作っていることを必ず忘れている。今回調べたら、セクト・ポクリットさんのサイトで、俳人の松野苑子さんがこの句を取り上げていらした。一部抜粋させていただきます。晴子の句の中で松野苑子さんがいちばんお好きな句だとのこと。
平成三年の一月九日に、晴子は脳動脈瘤の手術を受け、一九日に退院している。大きな手術だと思うのだが、『儚々』(筆者注 晴子の第六句集) には、入院した、手術した、という句はみられない。そして夏になって、「山ほととぎすほしいまま」観劇二句、という句のすぐ後に、十薬のこの句が並んでいる。観劇の句は、次の二句である。
『山ほととぎすほしいまま』観劇二句
花衣閉ぢ込める釘打つ音す
袖口に扇子の風を入れる虚子現実を生に詠わないのが、晴子の句なのだろう。
晴子七十歳の句。そんな経緯があったと初めて知った。先述のとおり、十薬の白い花弁に見えるものは花弁ではなく苞である。中心部、蕊のように見える黄色い部分が花の集合体で、たくさんの小さな花が集まり、ひとつの大きな花のように見えているのだ。なおその黄色い小さな花の部分にも花弁はない。
花がひらくと言うとき、一般に人はたいてい花びらの動きを思うのではないか。花びらを持たない十薬の、蕊のような部分は、開花せぬまま屹立している。そこにわが荒野を見出した孤独とは、いったいどれほどの深さなのか。強さと脆さの両方を併せて持つ十薬なら、その実存の重量を受け止める。この句もまた、どくだみではなく、十薬でなくてはならなかったと、思う。
若洲の場合(出題者)
十薬、つまりドクダミに関する記憶や思考があるか脳内で検索をかけてみたが、ヒット件数はそう多くはなかった。「なにか書いたら面白そう!」と思ってこの季語を選定したが、この時点でちょっと後悔する。
1つ目の記憶は、中学生時代にまで遡る。夏休みの前だったか後だったか、それくらいの時期に、全校大掃除のような行事(という名目のほぼボランティア)があって、その時にプール横の草むしりを命じられたという内容だ。学校の中でも校舎から遠いところにあって、人目につきにくい場所。そして夏以外は人が出入りしない暗がり。そこに茂っていたのが十薬だった。根までちゃんと抜かないとすぐにまた生えてきてしまう、というのを聞いて、完全体で引っこ抜けるように頑張るのだが、なかなかに難しかったから覚えているのだと思う。
次はサカナクションの楽曲「ユリイカ」の中のワンフレーズ。動画には年齢制限がかかっているが、一応リンクを貼っておく。
なぜかドクダミと
サカナクション「ユリイカ」
それを刈る母の背中を思い出した
ここは東京
蔦が這うようにびっしり人が住む街
思い出す対象になっていることから、「母」が東京にはいないことはわかる。それを踏まえると、「母・(地元)・ドクダミ」のセットと、「自分・東京・蔦」が言葉の上で対になっていることが鮮明に見えてくる。曲の中でのフレーズの切り方(なぜか/ドクダミとそれを刈る母の背中を/思い出したここは東京/蔦が這うようにびっしり人が住む街)と、印刷された歌詞の切り方が異なることからも、意図的な対句であると考えられるだろう。
韻によらない対句の場合は、2つのものに一定の共通点と明確な対立点があることが高いレベルで必要だ。その点、ドクダミと蔦はそれを満たしている。ドクダミは蔦をなす植物ではないが、密集したときの密度はツタに匹敵する(共通点)。さらに、蔦は通常縦方向に伸びていく様子が想起されるが、ドクダミはどちらかと言えば横だ。蔦の線的印象に対して、ドクダミの面的印象などの軸も設定できる(以上対立点)。ドクダミは「蔦」という語を受けるのに、最適な植物だったのだろう。ところがこの歌における焦点は、「蔦」の方にある。ドクダミは「蔦」の引き立て役として出てきているに過ぎないが、強い印象も残している。
後は仙台で訪れた瑞鳳殿の参道の十薬が美しかったことぐらい。十薬の花を「美しいなあ」と捉えたほぼ初めての経験だったが、その時点ですでに「ゑひの歳時記」企画でこの文章を書くことが決まっていたから、注目するようバイアスがかかっていたのは確かだ。それで言うと、純粋にドクダミを見たのは、人生でたったの2回なのか。
いや、でも、翻してみれば、おそらくこれが十薬の大きな特徴のような気がする。上原が述べるような強い匂い、可憐な花、さらには印象的な名前と「十」の「薬」ともなりうる薬効を備えるという強烈な個性を持ちながらも、日常生活で特段注目することもないという存在感の不思議な薄さ。
読者の皆さんも、ひと夏の間に、絶対どこかで視界の端に十薬が入っているはずなのだけれど、それで何かあるかというと何もない。けれど、一旦「そこに十薬がある」と思うと、通りかかるたびに認識してしまうようなところがあるのでは。いわば、一見二律背反に見える「目立つこと」と「目立たないこと」が両立状態にある。この特徴が「ユリイカ」で存在感と引き立て力の両方を発揮している背景なのではないか。
さてでは、俳句でそれをどう取り入れるか。十薬の特徴である「(気づくことは少ないけど)気づいたらそこにいる」みたいな句が、月刊 俳句ゑひ 水無月(6月)号にもあった。
十薬の庭に開かずの蓋があり 上原温泉
十薬の間に制帽を忘れ来し 若洲至
上原の句は、「あ、こんなところにこんなものが」という発見感覚がやはりあり、さらに地面を覆って広がる十薬の生態を捉えようとしている。若洲の方は「気づいたら」の内容を「忘却」という概念の方で扱っており具体性は落ちるが、「ユリイカ」でセット化されて出てきた地元感≒ノスタルジーに通じるところがある。
当然これ以外の十薬の捉え方はあるだろうが、本稿では、十薬の持つ「目立っていないが、目立つ」という特徴について書いてきた。どのように句に活かすかは、正直まだ筆者にもよくわからない。でも、積極的に使うことの難しい季語であるだけに、ここまで考えを進められたことに満足感が少しある。「ゑひの歳時記」の文章を書くことの隠れた効能である。
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