低温火傷しそうな【月刊 俳句ゑひ 文月(7月)号 『無題4』を読む③】

月刊俳句ゑひ
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 こちらの記事は、月刊 俳句ゑひ 文月(7月)号の『無題4』(作:若洲至)を、上原温泉が鑑賞したものです。まずは作品の掲載されている、下の本編および〈①〉〈②〉をご覧ください!

低温火傷しそうな

 文月(7月)号の若洲至連作鑑賞3回めは、共通する要素を感じた句を抽出する。

情緒の排除

関節に金属のあるプールかな

 関節に金属と言われると、人工関節を思い浮かべる。さまざまな理由により変形した関節の代替とされる。術後、関節に重力がかかるのは良くなさそうだとは想像がつくし、となればプールでの運動は奨励されるだろうから、これはリハビリではないかと読んでみた。

 句は一見、入れ子の構造になっている。プールという枠に入っている人間、人間の体という枠に入っている金属。しかし病を匂わせる状況設定が死の印象を強引に呼び寄せ、人体は水中へ溶けてしまいそうに脆い。プールが人間を吸収した後も、人工関節は水中を泳いでいる。プールと人工関節。もう人工物しか残っていない。背景には情緒の要素がてんこ盛りでありながら、それら一切を排除したところに意志を感じる。現代美術を好む作者の嗜好を感じた一句。ダリみたい。

水と金属の痛み

夕立やホチキスの芯込めてゐて

 水と金属の組み合わせはこちらの句にも見られた。夕立は窓外、ホチキスの芯を入れながら雨音を聴いているのか。

 俳句は内外うちそとを嫌うと習った。「夕立は屋外のことで、ホチキスの芯を入れているのは室内ですよね。内外になってしまいましたね。」といった言い方をする。掲句からは、夕立の轟音とホチキスを綴じる音がする。だんだん、夕立がホチキスで綴じられているような錯覚に陥る。とうとう、夕立に濡れるホチキスの芯を幻視する。内と外の隔てが消えて、渾然一体な世界を脳内に再生する読み手となった。

 加えて何だか痛い。夕立に打たれる痛さと、ホチキスに綴じられる痛さと。痛覚の原因もまた、はっきりとはしない。時空や感覚が狂うのは、気が触れたような降り方をする夕立のせいだ。この夏は幾たびもゲリラ豪雨に襲われた。そのたびにかつて旅した東南アジアを思い出していた。日本は変わってしまったのだ。夕立は痛いし、境界は突破される。

研ぎ澄まされる心情

雪渓や鞄の底にあるオルファ

 はじめオルファがピンと来なくて、心地の良い語感だけが身体に入ってきた。オルフェウスの神話、コクトーのオルフェ、黒いオルフェ……いやそれは違うって。妄想を膨らませたのは筆者の勝手で、これはオルフェではなくオルファ。「月刊俳句ゑひ文月(7月)号 俳句の言葉解説記事」にあるように、皆が知ってるあのカッターナイフを指す。プール、夕立、ときて、とうとう雪渓とはずいぶん大きな景色になった。山の斜面の光とカッターナイフの光の重なり合い、雪渓と鞄底の高低差を汲み取るのがまずは順当な読みであろう。

 ただ20句の中に相似するコンセプトが3回めともなると、さすがに気になる。夏山にまだ溶け残る雪は水分だし、カッターナイフは金属だ。水と金属を取り合わせたがる作者の感覚は、包丁を研ぐとき砥石を水で濡らすが、あんな感じなのだろうか(違うか)。砥石は水に溶けながら刃物を研磨する。雪渓にオルファが研磨されるようなイメージが湧く。

 雪渓の句はもうひとつ、「全て忘れて雪渓の前に行く」が、夕立の句の次に並べられている。それで心情が見えて、作品上のコンディションがわかった。この句意を踏まえて掲句へ移ると、オルファはまるで研ぎ澄ました怒りのようだ。

無機質・低体温の深みへ

キャンプファイヤーを程よく崩しをり
とうすみを毀す嵐の迫りをる

【崩す】
 ①物をくだきこわす。
 ②整っていた状態を乱す。
 ③正しいものを悪くする。

【毀す】
 ①破壊する。だめにする。
 ②機能をそこなう。障害をおこさせる。

広辞苑 第六版

 キャンプファイヤーの句は「程よく」がミソで、乱すことで良くしようとする善意がまだ感じられるが、とうすみの句には勝算がなく、救いも見えない。共通するのはカサッと壊される音の軽さで、重機で踏み潰すような破壊とは違い、点のような痛みが鋭く深い。

 思えば今回の連作、全体的に不穏なのである。「天使魚に東京見えてゐて暗い」「穏やかに夢で殺され土用入」「公団の荒き配管瓜の花」などに顕著な殺伐とした空気。そこに迷いや憐憫れんびんはなく、さりとて孤独かといえばそれも無い。無いというより、それを詠むまいとするゆえ、破壊行為も大げさには行われない。決定的には破られない空気が、読み手の概念を緩慢に侵していく。気がつくと、刺されている。しかし作者は。 壊れる世界にあって、体温はどこまでも低い。

 ゑひのメンバーは2人しかいないので、頭数の問題として、どう頑張っても百花繚乱とはいかない。だから過剰なほど対照的であることで、互いが共に引き立つ形を作れないかと考えてきた。実際、我々はひどく対照的だから、そこに自覚的でありさえすれば、特段無理をしなくとも「みんなちがって、みんないい」はきっと実現できるだろう。

 そういう目線をもって、今号の若洲至連作を眺め直してみると、甘味を排除した句もまた若洲らしさであると思えた。情緒を捨てきれない上原の句との対比。今後の連作ではたまに、そこを徹底してみてはいかがだろう。無機質な作品群に低温火傷してしまうとしても、相棒としては、やぶさかではない。

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