上原・若洲が返歌に挑戦! 一方の頭にふと浮かんだ短歌から、返歌の世界が始まります。そしてさらに、2首の世界から思い浮かんだ物語などをノールールで綴る企画です。第1回は上原発・若洲着。文章は若洲の担当です。
千返万歌
前髪が長くてマスク大きくて会議を聞いている空くん
上原温泉
文部省唱歌は空を手づからに塗らせたまひき一面の靑
若洲至
*メモ✍
「手づから」:「自らの手で」という意味、文部省唱歌を擬人化している
「塗らせたまひき」:「お塗りになった」という意味(尊敬語)
「靑」:「青」の旧字体
文章編:空と靑
そら【空・虚】 一〘名〙 1空間・場所・位置などの上の方をいう。 2比喩的に、精神状態などについて用いる。 1⃣(形動)心が空虚であること。また、そのさま。魂が抜けたようで、しっかりした意識のないこと。また、そのさま。うつろ。うわのそら。 二〘語素〙主として名詞、その他の語の上に付いて、実体のないことである意などを示す。 [語誌] 形容動詞的用法は、中古和文では、特に、男性から女性への恋愛情緒を表わす場面に多く見られ「心そらなり」の形で使われている。あることに心がとらわれ、目の前のことに気持が向かないことを意味し、現代語の「うわのそら」に類似する。 ――精選版 日本国語大辞典 【空・虚】(一部省略)
「空」という語は幅広い意味を持つが、「そら」といえば、当然第一義的には “the Sky” である。この言葉に、多くの人は限りのない可能性や、晴れ渡った空間への期待感を感じるだろう。一首目における空くんのご両親は、彼の将来への希望を込めて、この言葉を選んだのだろう。
もともと「そら」は天界の下に位置する人間界の上方を意味する言葉だったが、当時の人にとって、自分たちの世界の上端さえ捉えることが困難だった。そこから転じて、曖昧でうつろなことも「そら」と呼ぶようになった。正確性が保証されない暗誦=「そらんじる」や、茫漠とした希望=「絵空事」という言葉に、そのニュアンスを感じ取ることができる。
現代に生まれた空くんは、何らかの理由によってその多義性を体現しているようだ。
* * *
あお あを【青】 一〘名〙 1⃣色の名。五色の一つ。七色の一つ。三原色の一つ。本来は、黒と白との中間の範囲を示す広い色名で、主に青、緑、藍をさし、時には、黒、白をもさした。 二〘接頭〙 1⃣木の実などが、十分に熟していないことを表わす。 2⃣年が若く十分に成長していないこと、人柄、技能などが未熟であることを表わす。 [語誌] アカ・クロ・シロと並び、日本語の基本的な色彩語であり、上代から色名として用いられた。アヲの示す色相は広く、青・緑・紫、さらに黒・白・灰色も含んだ。特にミドリとは重なる部分が多く、「観智院本名義抄」の「碧・緑・翠」には「アヲシ」「ミドリ」などの訓が見える。 ――精選版 日本国語大辞典 【青】(一部省略)
晴れているときの空は青い。疑問を持ったことはあったとしても、異論を唱える人はほとんどいないだろう。なぜなら青は、黒から白までの色彩を幅広くカバーしてきた語であって、現代においても当てはまらない色調がほぼないからである。かつては空はともかく、海も、木々の葉も、恐らく曇天や墨も、「あをい」と考えられたはずだ。
しかし空は本当に青いだろうか。正確には、本当に青いだけだろうか。他の答えを持ち得ないだろうか。クロード・モネの『睡蓮』の水面が映す空は確かに青い。しかしそこには青を作り上げる白や赤や様々の色がある。色は三原色に分割できるという科学的知見を得た画家の、芸術界における技術的革新を見て取ることができる。アンリ・マティスの『豪奢、静寂、逸楽』の空には、青は際立たない。朝や夕方の風景と見ても良いかもしれないが、この色の散らばりは昼間の明るさを表現しているように思える。『ダンス』では背景が青く塗り込められているが、これは空というよりまずは人物群との対比を際立たせる要素としての意図的な青だろう。二人の画家はともに、空がただ単に青いとは考えていなかったはずであり、だからこそ今でも革新者として名を刻んでいる。
* * *
ゑひは、青いものをあえて青いと言わないことも良しとしている。青いものが青いことはもちろんだし、それがあるから世界が回るのだけれど、そう言っているだけでは何も起きないのも、また真実である。印象派や野獣派(フォービズム)が強い逆風の中で芸術史に名を遺したことを思うとき、我々はどこか自信を得た気分にもなる。
コメント