上原・若洲が返歌に挑戦! 一方の頭にふと浮かんだ短歌から、返歌の世界が始まります。そしてさらに、2首の世界から思い浮かんだ物語などをノールールで綴る企画です。第6回は上原発・若洲着。文章は若洲の担当です。
千返万歌
この先もパリには住めずスティングの歌が流れて最後のお訴え
上原温泉
大理石文明にある鵲は知るや亜洲の遠き血筋を
若洲至
*メモ✍
「スティング」:歌手の名
「鵲」:鳥の名
「亜洲」:アジアのこと
文章編:若洲訪欧記(一部)
2023年3月9日(現地時間):ミラノ→アテネ(泊)
ミラノ市北郊に宿をとっていた若洲とその友人は、宿と提携する附近の軽食屋で朝食を摂る。年季の入った背の低いショーケースの中には、デニッシュやパウンドケーキといった類の甘いパンが並んでおり、これに一杯の珈琲が付くという。
宿の鍵を店主と思われる女性に渡し、それぞれパンをチョイスする。友人は薄切りの林檎が入ったパン、若洲はパニーニにも使われるような硬めのパンを選択した。2人ともスタンダードな珈琲を付けたのだが、それが日本で言うエスプレッソであり、かなりの苦味である。
店の真ん中当たりにあるテーブルにつく。周りには、近くに住むと思われる常連さんが、出勤前のたたずまいで座っていた。新聞を広げる、携帯をいじるといった風景は日本の朝のそれとも通じるが、店内は広々としており、店主と客が談笑するような、和やかな雰囲気がある。
ラジオが軽快な巻き舌でずっと喋っている。テンション高くひとり語りが続いたと思うとそれが一瞬途切れ、スティング の “Englishman in New York” が流れる。アメリカという異国に疎外感を持ちながら暮らす英国人の心情を歌ったものだ。キャスターは陽気に喋っていたと思ったが、選曲からするとそういうことではないのかも知れなかった。我々は顔を見合わせる。
2人は1週間前にローマ中央駅で合流した。友人はその1ヶ月ほど前に日本を発ち、アメリカ大陸やヨーロッパ諸国を巡っていた。そこに私が日本発、シンガポール経由の空路で到着したのだ。異国を歩き回る寂しさは、彼のほうが強く感じていただろう。
* * *
地下鉄でミラノ市内に移動して広場を歩いていると、1人の黒人の男が近づいてくる。ローマ・コロッセオの周辺にもたくさんいた、チケットの売り付けかと思ったら、腰に提げた袋からカラフルな糸を取り出し、それを友人の腕に巻き始めた。
「ノー・ノー」と繰り返すが、黒人の男はそれを固く縛り、手際よく爪切りで端を切り落とした。ここでようやくミサンガを売りつけられ、「返品不可能」な状態になったことがわかった。「マネー! マネー! ファイブユーロ!」生憎相手はこちらより体格が良く、逃げたとて2人で巻けるかもよくわからない。取り合ったのが運の尽きだ。言い値よりは値を下げさせたが、それでも2ユーロを渡すことになった。
どんな場所でも旅するだけではわからない、住んでみないとわからないことがあるとは思うが、我々はここにヨーロッパの現在の一端を見た。友人に話を聞けば、合流する前1人で旅をしていたときには、何か危害を加えられるのではないかと、一切気が抜けなかったという。パリの国際空港から市の中心に至る地下鉄幹線の不穏さなど、世界の広さを知ってきた彼だ。別に日本の治安を礼賛するつもりもないが、特に思うところがあるのも無理はないだろう。
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市内で最後のパスタを食し、急行列車マルペンサ・エクスプレスで空港に向かう。石材の色に統一された街中に比べイタリアの鉄道車両は明るく、カラフルな色使いだ。
手荷物検査が終わる。次の目的地はギリシャ・アテネだ。飛行機にはバスで向かうらしい。小型の飛行機なのかと思っていたが、搭乗口に着いた頃にはすでに長蛇の列ができていた。沢山のイタリア人とギリシャ人(のように見える人々)、そして2人の日本人を乗せて、飛行機はアドリア海を越えていく。なお、彫りの深い顔の、それぞれの母国がどこであるかの見分けは一切つかなかった。
飛行機が着陸してベルト着用サインが消えると、後ろの席の人が電話で話し始める。相槌のような調子で「ね、ね」と繰り返すのが気になったが、後にこれがギリシャ語の肯定の返事「イェス」に当たることを知った。ギリシャの雰囲気は、イタリアより少し明るそうだった。
地下鉄で市内を目指す。宿は中心駅から5ブロックほど行った裏路地だった。街は明るかったが、この通りだけ妙に暗い。それでもなんとかオートロックを解錠して部屋にたどり着いた。スバラキなる肉串を夕食とし、就寝。
2023年3月10日(現地時間):アテネ(泊)
朝の遅い2人と同じくらい、朝の遅い宿だった。女主人は9時からしか朝食を置かない。ジャム・サンドイッチとゆで卵、珈琲に、スーパー・マーケットで買ったヨーグルトを加えて朝食とする。今日はアテネ市内の観光。友人の彼にとってはこの旅の何カ国目になるのだろう。
身支度を済ませ、まずはパルテノン神殿・アクロポリスに向かう。古代ギリシアの政治・文化の中心地だったところだ。いくつかの広場を過ぎ、坂を登ると、神殿が見えてくる。遺跡の中をしきりに地下鉄が通過するのが、日本の奈良に似ていて面白い。
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丘の中腹まで登ると、アテネ市内が一望できる。白くくすんだ壁と赤い屋根の色、それに硬葉樹の深い緑が散らばる風景は、シンプルだが単調ではなく、不思議な調和がそこにはある。「歴史ある街」ならではの古さが強調されていることもなく、生活のライブ感もある。独特の落ち着きと賑わいを持つ街だ。
チケットを買いパルテノン神殿へ向かう。ここまで来ると各国の観光客が入り乱れており興行の雰囲気は否めないが、それでもイタリアのせわしなさよりは安心感がある。両側に大理石の太い円柱のある通路をくぐると、神殿が間近に迫ってくる。大理石文明とはかくなるものだ、と思わせてくる。
神殿附近は修繕工事の最中のようだ。一部に足場が組まれ、日本でもよく見かける防音シートがかかっていた。さらに周囲には工事用資材を運搬するため線路やトロッコが。景観を損なうと言えば損なうが、必要な工事であろうし、むしろ建物の維持過程を見せていると考えれば、防音壁で覆い、観覧を制限してしまうより魅力のある形かも知れない。
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写真撮影などを一通り終えてゲートを出ると先ほどより人が増えていた。硬葉樹の間を鵲と思しき鳥が飛び回る。観光客はそれには目も呉れないが、その軽快な動きにしばらく見入ってしまった。
旅好きの友人にとって、鳥は旅情を搔き立てるものの一つだという。違う国に行けば、朝には違う鳥が鳴き、また同じ鳥でも鳴き方が微妙に違ったりするのだそうだ。友人によればカササギは、亜洲の台湾や韓国で見た覚えがあると言っていたが、欧亜大陸の反対側でお目にかかるとは、思っていなかった。調べれば、欧亜大陸の中緯度帯に東西に広く分布しているようで、日本にも九州北部を中心に留鳥として生息しているそうだ。渡りをしない鳥にも関わらず分布が広い気がするが、大陸に広がってゆくのにも、これまで長い時間がかかったのだろう。決して出会うことのない日本のカササギとギリシャのカササギの運命は興味深い。
いつかにつづく
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