上原・若洲が返歌に挑戦! 一方の頭にふと浮かんだ短歌から、返歌の世界が始まります。そしてさらに、2首の世界から思い浮かんだ物語などをノールールで綴る企画です。第2回は若洲発・上原着。文章は若洲の担当です。
千返万歌
今は昔王宮にシンセは流れ雲間を漏るる光とすなり
若洲至
晩餐のマネキン少し傾きて繰り返し流るるRYDEEN
上原温泉
*メモ✍
「シンセ」:シンセサイザーのこと
「すなり」:「したということだ」という意味
「RYDEEN」:イエロー・マジック・オーケストラによる楽曲の名。1980年発表。
文章編:時代は続く
「千返万歌」というコーナー名でこの企画をスタートさせることは2022年の秋頃には既に決まっていて、その後上原・若洲は、企画のコンセプトを意識しながらそれぞれ短歌を作ってきた。中でもこの2首は最初期にできたもので、できたときから今に至るまでに、歌の意味が大きく変化したものである点で印象深い。それはつまり文芸作品が、よほどの場合時代から切り離せないことを体現している、あるいは少なくともそれと関係していることと言い換えられると思う。
若洲の短歌は、概ね次のようなことを表現しようとしている――今となっては昔のことであるが、王宮ではシンセサイザーの音色が流れていた。それは雲の間から差し込む太陽の光を表現する音色として使われていたそうである――。そんな噓みたいな王宮はそもそもどこにも存在しないだろうから、これは虚(作り物)の世界を表現したものだろう。ただ、楽器で光を表現しようという試み自体は、日本でもかつて行われていた。神事の時に演奏される音楽を雅楽というが、そこでは鳳笙という縦笛の一種が、光を表わす役割を担っていた。鳳笙が生み出す柔らかくも鮮やかな高音は、確かに雲間から漏れまほろばを照らす光の筋を思わせ、古代の人々はそこに天照大御神の気配を感じたことだろう。
では若洲のこの短歌の時系列はどのようになっているのだろう。虚の世界観であることを踏まえて考えると、シンセサイザーの登場よりは遥かに後で、それがすでに伝説化してしまった時代に詠まれる想定で作られた短歌、と見ることができるかもしれない。シンセサイザーを光とした(大衆的)文化はこの歌の詠まれた時点で既に途絶えていて、そして詠み手は、その文化と隔絶があることを示す言葉遣いを選んでいるからだ。いわばこの歌におけるシンセサイザーは、現代における鳳笙の立場である。
これに対する上原の返歌は、具体的な曲「RYDEEN」を取り上げ、虚の「王宮」の中の様子を描写しているようだ。そこでは景気の良かった日本の並行世界であるかのように王宮で人々が踊り、そして飲み食いする。ただしそこにあるのは王宮にありそうな「彫刻」などではなくあくまで「マネキン」であり、それは傾いている。「RYDEEN」の畳み掛ける音のパターンが繰り返され、人工の光が飛び交う。この歌をどの時点でいつの時代のものとして詠んでいるかはわからないが、このあたりからなんとなく、物質主義社会の過去の栄光の姿のように見えてくるのではないだろうか。
日本の太古(文化の出発点としてであって、現在も継続していることを否定するものではない)と20世紀後半、及びそれがさらに昔になる遠い将来。この時代の同居や越境が二首に通底している。遠い将来にシンセサイザーは、マネキンは、「RYDEEN」は、果たして存在しているだろうか。
この二首が作られたのは2022年の師走であるが、その後「RYDEEN」の作曲者である高橋幸宏、そしてYMOのメンバーである坂本龍一が世を去り、20世紀後半も遠い時代と認知せざるを得なくなった。追悼の文脈においても「RYDEEN」は繰り返し流される。
我々の生きる時代が将来記述される価値を持つのか持たないのかは、今はわからない。しかし未来記述される当時の王宮において、もしかするとシンセサイザーが響いているかもしれないと考えることは、我々の勝手なのである。
*「RYDEEN」という曲名は「雷電爲右エ門」という江戸時代の伝説的力士の名を取って命名されたと言われている。自らの作品を歴史の流れの中に位置付け、根拠とする空間と結びつけて世界に主張することで、作品の重層性が生まれる、ということを当然知っての命名だろう。
コメント