こちらの記事は、月刊 俳句ゑひ 皐月(5月)号の『形から』(作:上原温泉)を、若洲至が鑑賞したものです。まずは下の本編をご覧ください!
Q:5月ってなんだろう?
前回の上原温泉の作品『うつら』を紹介する中で、最初に取り上げた俳句が「三月のスプーン先月より深い」という句でした。作品の中でも初見の不可解さが際立っていたというのもそうなのですが、1ヶ月に1度、20句の作品を作ることになっている私たちにとって、「月」のスパンや個性に着目することは、ある種避けられないことであるとも、振り返って思いました。
そんなことを考えながら今号の作品『形から』を読んでいたところ、今回も月の名前の入った俳句が。それも2句も。そこで今回も5月について考えるところから始めていきます。定番化のつもりはありませんが、今後のこの作品の読み解きにも活きてきますので、少々お付き合いください。
5月の難しさ
まずは、5月の立ち位置について考えてみます。まずは、俳句世界での季節の分類を大まかに確認しましょう。
季語の分類の方法としてもっともスタンダードなのは、四季(春夏秋冬)に「新年」を加えた5つに分類する方法です。書店などで手に入る一般的な歳時記の多くはこの分類を採用しています。
これとは違い、より多くの季語が採用されている歳時記の中には、大まかな月別に季語を収録しているものもあります。例えば稲畑汀子という俳人が編集した『ホトトギス新歳時記 第三版』は、新暦の1月から12月までの月別に季語や季題を並べていることで知られます。これほど詳細に季語を配列したものは特別ですが、よりざっくりと、ひとつの季節の中を3つに分けて考えるものもあります。一例として『新版 角川俳句大歳時記』では、季節を「初」「仲」「晩」に分けています。概ね次のような形です。
初〔はじめの1か月〕 | 仲〔真ん中の1か月〕 | 晩〔終わりの1か月〕 | |
春 (立春から立夏の前日) | 初春(立春・雨水) ≒2月 | 仲春(啓蟄・春分) ≒3月 | 晩春(清明・穀雨) ≒4月 |
夏 (立夏から立秋の前日) | 初夏(立夏・小満) ≒5月 | 仲夏(芒種・夏至) ≒6月 | 晩夏(小暑・大暑) ≒7月 |
秋 (立秋から立冬の前日) | 初秋(立秋・処暑) ≒8月 | 仲秋(白露・秋分) ≒9月 | 晩秋(寒露・霜降) ≒10月 |
冬 (立冬から立春の前日) | 初冬(立冬・小雪) ≒11月 | 仲冬(大雪・冬至) ≒12月 | 晩冬(小寒・大寒) ≒1月 |
+新年(関連行事のみ) |
2023年の立夏は5月6日、仲夏のはじまりとなる芒種は6月6日でした。5月の最初の週が晩春にかかっていて、それ以外はおよそ初夏ということになります。ですから、連作の中で登場するのも、およそ初夏に使える季語ということです。
ただ、「初夏」限定の季語というのはあまり多くない。夏に使うものや見かける動物=初夏だけ目にするものは、初夏にあって晩夏にないということはあまりないからです。他の季節、例えば春の場合は、咲く花が移り変わることによって、初春・仲春・晩春と区別できる季語が多いのですが、夏の場合はそうでもない。だから、夏ならいつでも使える「三夏」の季語が作品の中でも多くを占めています。
もちろん初夏の季語がないわけではないのですが、著名な文化人の忌日(亡くなった日)や行事(愛鳥週間など)など。それ以外だと、こんなものが初夏の季語です(角川俳句大歳時記より)。
更衣・菖蒲湯・黒船祭
更衣はぎりぎりわかりますね。詳しい意味はこちらの記事を参照してください。菖蒲湯など、5月5日の端午の節句の風習もおよそ初夏の季語ですが、節句の季語として一括りにされることが多いので、バリエーションにはちょっとなりにくい。さらに黒船祭は、伊豆下田の地元のお祭なので、全国的な認知はそれほどない。特に都市的な地域に住んでいると、5月=初夏限定の季語で作るのは結構大変なんです。
私たちの5月
とはいえ、俳句的に5月の立ち位置が難しくても、生活していれば一定のイメージが既にあるのは私たちも一緒です。
つまり、月の始めの方に大型連休があって、飛び石だと悲しくて、連続しているとうれしい。またこの頃には暑い日があると、真夏日になろうかということも珍しくなくなりますので、衣替えも一気に進められます。連休が終わると、2ヶ月近く法定休日がないので、疲れも出てくるかもしれません。今年であれば、月の下旬には梅雨入りする地域もあります。太平洋側の地域では次第に湿度が増し、いよいよ夏本番といった感じが出てくるでしょう(天気予報のような言い回しですが、他意はありません)。植物の緑も鮮やかになり、街路樹も鬱蒼としてきます。
まとめれば、5月の印象は、さしずめ連休・(前の季節と比べた時の)暑さ・梅雨、ということになるでしょうか。
A:「嵌(は)まる」月
では、そんな月である5月を、上原はどう解釈して作品の中に定着させたのでしょうか。20句の中に「五月」を詠んだ句が2つあります。
すつぽりとカヌーに嵌まる五月かな
形から五月のやうに歩き出す
ここから一つずつ詳しく見ていくことにしましょう。
すつぽりとカヌーに嵌まる五月かな
句を詠んだ人物は、月初の連休の機会などを利用して、湖や川のような水辺に来たのでしょう(ちなみに俳句の世界では、作者がその体験をしているとは必ずしも言えません、自伝的小説にフィクションが交じるのと一緒です)。そこで珍しくカヌーに乗る体験をしたようです。カヌーの乗るところは、ちょうど一人分の座席が穴のような形になっていたりして、インストラクターさんの指示に従ってそこに乗ってみると、スポッとその中に身体が収まったみたいです。その時に5月であると、作者は感じられたのだと言います。
これだけだと意味がわからないですよね……。
でも、ちょっとずつ句の中の表現や要素を捉えていくと、見方が変わってきます。
まずは5月の季節感。上の方で説明した連休の一風景が切り取られているという見方ができますね。その時期に行きたくなる場所として、落ち着いた水辺を選択するのも、どこかわかる気がしませんか。初夏の時期に行ったところを思い出すと、日光の中禅寺湖や裏磐梯の五色沼など、私もいくつか思い浮かびます。家族旅行の場合もあると思いますが、そんな時にカヌーに乗るなどのアクティビティを計画することもありそうです。
しかしこれよりさらに大事なのは「すつぽりと」「嵌まる」の部分です。なぜ「作者」はカヌーのような場所にフィット感を覚えたのでしょうか? カヌーという場所である理由は既に考えましたが、そこにハマった理由もあると思うのです。
ところで5月は「新学期・新生活のはじまりから1ヶ月経過した頃」という一面も持ち合わせています。ちょっと理屈っぽいところではありますが、生活上・精神面では結構影響のある部分ですよね。
この一面を考えた時、5月は人や環境によって違うイメージを持ち得ます。その人の新生活がうまく行っていた場合は、1ヶ月で環境にある程度なじんで、その人なりの生活を立ち上げることができているでしょう。一方で、想定していたのと違う、生活があまりうまく行っていない人にとっては、そのズレがはっきり現れてくるころかもしれません。連休あたりで疲れも出てくる頃ですが、その時の心証はいろいろでしょう。
以上を踏まえると、上原作品の中の「すつぽりと」「嵌まる」という言葉からは、自分のいる場所に対する居心地の良さ、ひいては精神的な満足感を感じ取ることができます。もしその人が辛い日常を送っていたら、たとえ休日であっても完全にそこから解放されることは(経験上)ないように思います。その人にとって心地のよい新生活が実現できているからこそ、休日も充実させることができているのでしょう。
ちょっとまどろっこしい説明でしたが、「新生活の2ヶ月目」という、これが上原にとっての5月の一つの解釈だと考えられます。俳句の本意はこの5月のイメージを踏まえて構築されていて、さらに五月の爽やかな印象をを活かして、この句の世界が作り上げられているのです。
形から五月のやうに歩き出す
さらに抽象度が高いのがこちらの俳句でしょう。歩き出し方が五月のようとは、一体どういうことでしょうか。私は連休のイメージと、先ほどの心証の両方を重ねました。
5月は、冒頭に大型連休が入ってくるので、ペース的にはスロースタートですよね。そしてその後はスピード感が急激に上がっていきます。企業の場合は営業日が少ないので、月末に向かってペースを上げていく意識が働くでしょう。6月末の第1四半期終わりまでこれが続いていきます。こうした「はじめゆっくり、あとスタスタ」な動き方を、「五月のやうに」と捉えたと考えたというのが、私の第一印象です。
さらに、上の第一印象のところで述べた特徴を持っているこの月をちゃんと乗り切るために、作者は「形から」自分を奮い立たせているような印象を持ちます。そこには苦労や疲れもある中で、今いる環境で生きていこうという姿が見えてきます。ここにも上原の「5月=嵌まる(べき)月」という感覚が滲みます。
その背景には、五月という季語を使っているからこその新緑の色合いが映えています。都会のイチョウ並木、学校の桜の大樹などを重ねて読むことができるのは、この季語が効果を発揮しているからと言って差し支えないでしょう。季語を比喩的に使っているなかでも、季語の意味がちゃんと活きています。
俳句における5月は、ともすると個性を失いがちです。しかし、月という単位で生活実感に引き付けて考えた結果、上原は「嵌まる月」という一面を見つけ出したと言えます。
次回はこれをさらに進めて、五月の心情により深く焦点を当てていきます。次の句を解説します。お楽しみに!
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