上原・若洲が返歌に挑戦! 一方の頭にふと浮かんだ短歌から、返歌の世界が始まります。そしてさらに、2首の世界から思い浮かんだ物語などをノールールで綴る企画です。第5回は上原発・若洲着。文章は若洲の担当です。
千返万歌
山手線回るよ回る鋼鉄のスーツケースも回り始める
上原温泉
日ユ同祖論者にいかに安息日だいじか説かれそして奢れり
若洲至
*メモ✍
「日ユ同祖論」:日本人とユダヤ人は共通の祖先を持つとする言説
「奢れり」:「奢った」という意味
文章編:自由をめぐる考察
「自由になりたい」と、最近ずっと思っている。
今現在の自分が特段自由でない、と感じているわけではない。その意味で私は世の中では「自由」な方なのだろうと思う。その幸せは自覚した上で、である。もっと極端に言えば、日本の人々はもっと自由になれるのではないか、と思うということだ。
上2首の短歌をどんなふうに読むか。1首目の上原の歌では、山手線が「回るよ回る」と言っている。続く2首目の若洲の方では、「日ユ同祖論者」の振る舞いに振り回され、思わず受身形を使っている。ここで補足しておくと、「日ユ同祖論」とは、明治・大正期に熱心なキリスト教信者たちなどによって提唱された、要は「日本人とユダヤ人は同じ祖先から分岐した人々である」という理論である。ユダヤ教でよく用いられるヘブライ語と、日本語の共通点などが根拠として挙げられているが、われわれの直感にも反する通り、基本的には否定される類の主張だ。
2首目の方はどちらかといえばわかりやすい。現在では一般に認められがたい主張を信じている人物とともに食事を摂る作中の「一般人」。彼はユダヤ教の教えを厳格に捉え、週に一度、神も休むというその日に必ず休む。そのような人物を前にして、「一般人」は流されるようにしてうなずき、そしてそのまま食事の全額を負担してしまう。声の大きな、強い主張を持った人物に、どこか懐疑的な気持ちを抱きながらも、少しずつその方向性の影響を受けてしまうことが、私にもある。
1首目の特徴として、先ほど「回る」の部分を挙げた。よく考えれば本当は、山手線は「回っている」のではない。知らない人の手によって常に「回している」ものだ。同じように、世の中は数多のシステムで成り立っているが、それらはすべて、常に誰かあるいは自分自身が回し続けているものだと思う。買った荷物が届くこと、メールのやり取りが成り立つこと、ライフラインが安定供給されていること。これらは必然ではないことを、私たちは忘れてしまう。
この鋼鉄のスーツケースに入っているものはなんだろう。私にはこれは、経済を回す貨幣などの象徴のように感じられた。それらを回すために日々飛び回る人々の姿も思い浮かぶ。
私自身システムを回すことにも一定期間身を捧げてきた自覚があるが、その期間を経て、さらに日本の外を知った時、再びシステムの回転だけに取り組むことにいささかの抵抗を覚えてしまった。
ヨーロッパを訪れて、その社会における自己責任的風潮を知った。存在する環境、存在する公共財を自分の利益として享受し、自分の都合に対してルールを最適化して適用する人々の姿には、日本と違うものを感じられる。もちろん行き過ぎた自己責任論は当然カオスを生じさせており諸手を挙げては称賛できないこと、さらに単純な日本と海外の二項対立が危険であることは前提だが、自分の生活を成り立たせるためにシステムがある世界と、システムの運用の中に自分の生活がある環境には、大きな違いがあるように思うのだ。
だから私も、システムを回転させることに終始することからいずれ脱していくことで、自由になることを考えている。
とはいえ自由は難しい。『翻訳語成立事情』(柳父章著、岩波新書)によれば、「自由」という言葉が今のような意味で使われ始めたのはせいぜい明治以降であって、しばらくは不安定な概念だった。そもそも共同体での生活が中心にある日本社会で「自由」という語はもともと和を乱す慎むべき概念だったという歴史もある。さらに俳句などという伝統のある社会に触れておきながら「自由」を主張することには、周囲からの違和感や主張する上での困難もあると心得ている。
それでも私はいずれ、自然に山手線を「回している」と言い、日ユ同祖論者と割り勘をして帰れるようになりたいのだ。それはもしかすると、今以上の不自由を受け入れることなのかもしれないけれど。
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