こちらの記事は、月刊 俳句ゑひ 皐月(5月)号の『無題2』(作:若洲至)を、上原温泉が鑑賞したものです。まずは作品の掲載されている、下の本編をご覧ください!
連作を組む~1段目に着目して~
ゑひのホームページでは、スマートフォンや携帯電話でご覧いただく場合の読みやすさを考えて、20句の連作を5句×4段組で表示している。そしてその表示のされ方は、自分の句の並べ方に影響する気がするし、若洲至の20句にも同じものを感じたので、今月は句の並べ方も意識しながら鑑賞してみようと思う。
ここはやや古き空き地や暮の春
月蝕の日の山葵田のざわめける
埼玉に日陰少なき鳳蝶
上蔟とは知らず判子を持って来ぬ
上蔟の壁の日めくりカレンダー
スマホで見える1段めにある5句は、古き空き地、山葵田、埼玉、上蔟、がキーワード。
冒頭に置く力点 ”古き空き地”
ここはやや古き空き地や暮の春
連作の1句めの冒頭「ここは」に、場所を示したいという意志を感じた。ので、考えてみた。換金性の高い都心の空き地を古くなるまで放る所有者はあまりいないであろうから、そしてその古さの度合いが「やや」であることから、掲句の「ここ」は「都会過ぎず田舎過ぎないどこか」になるだろうか。作者と筆者の主たる生活圏は東京都内であることから、都内と都外の境界あたり、ということにしてみよう。
連作の出だしの数句は、それが良ければ先へ読み進んでもらえるという意味で重要だ。なかでも1句めには連作そのものの生殺与奪権がある。あまりにもイキってしまうと読者が引くし、その案配や加減はいつも難しい。
若洲の場合は抑えたトーンの掲句から。場所を意識させながらも明示することはなく、「やや」「古き」「空き地」等のヒントは撒いてあり、親切なんだか不親切なんだか。それがこの句のサブリミナルなところで、読み手を無自覚なままこちらへ向かせ、連作の世界へと誘う。何気ない、静かな1句から始めるのは、連作を組む上でのコツのひとつです(討ち入るように入るのも、もちろんアリです)。
詩情の2句目 ”山葵田”
月蝕の日の山葵田のざわめける
郊外の、清流があるような場所へと視点は移る。山葵田をご覧になったことがある方ならおわかりのとおり、今の時期の山葵の葉はとてもしっかりしていて大きくて山葵田を覆い尽くして何も月蝕の日でなくとも犇めいているわけなのだけれども、そこを敢えて月蝕と取り合わせたところ、まるで月蝕に反応してざわめいているかのような葉の密集、あるいは葉擦れの音に、この句の詩情はある。雄大な天文に抱く憧憬と山葵田の清冽な光景がリンクするのは美しい。あぁそれに、山葵を山葵田から引っこ抜くと、根っこに比して葉の長さが凄くて、天と交信できそうな気さえしてくるというのが筆者の印象。
ここで月蝕とは……と書くよりも、筆者としては皆さんにこの句をウットリと鑑賞していただきたいので、国立天文台さんのウットリする動画を貼っておきます。月蝕は月食のことです。頭の中で、山葵田の葉をざわめかせてみてください。
場所の明示3句目 ”埼玉”
埼玉に日陰少なき鳳蝶
ようやく地名が出てきて、それが埼玉であることから翻って、従前の2句の場所設定が見えてくる仕掛け。今回の若洲作品は句の並べ方が上手い。
埼玉から想起するイメージはさまざまあるし、県内のどこを思うかによっても全く違ってくるが、作者の場合はそこから渇きのようなものを掬い取ったようだ。
そこで埼玉県はガソリン代が安い。圧倒的な車社会の競争原理が働くのだろう(これも地域によるのかもしれないので個人の限定的な経験とお受け止めください)。遠方から車で帰京する時などは、給油ランプの仄明かりを横目に、埼玉県に入るまでをひた走る筆者である。そんな埼玉の一側面として、広がる平野、幹線道路を飛ばす大型車や乗用車、巻き上がる砂埃がある。
であるから、実景を捉えてありあまる「日陰少なき」には共感した。当たり前のことを敢えて言うのは俳句の手法のひとつで、そのバカバカしさによって俳味=洒脱さを生む効果があり、掲句はその好例といえよう。
また、さらに細かく指摘するなら「埼玉県」ではなく「埼玉」であること。上五が字余りにならないため、というのが第一義ではあろうが、結果的に、行政区画としてのそれというより、作者のイメージを内包する「言葉」へと埼玉が昇華している。そして下五に置いた鳳蝶の有機性が、言葉としての埼玉を確定させている。
アゲハチョウは確かに、埼玉の幹線道路に貫かれた平野を飛んでいるだろう。構造物が少ないか、あっても低層で、周囲に原っぱが広がる映像は、読者もたやすく共有可能と思う。多数の納得する光景が句中に立ち上がること、俳句ではそれが重視される。蝶が心象的に用いられた詩は素敵だが、俳句の場合はだから「句が弱い」となりやすい。掲句はその点抜かりが無く、アゲハチョウは実体だ。その鮮やかな色彩やナマな湿りを、埼玉の渇きに対しぶつけることの効果を期待しているのだ(これも俳句の手法のひとつで二物衝撃といいます)。俳句ってまずはこういうものなんですよ、という句を連作の前半に配置するの、やはり上手い。
「課題季語」”上蔟”
上蔟とは知らず判子を持って来ぬ
まず難読季語「上蔟」について頭に?が灯る方は、「ゑひの歳時記 皐月〈上蔟〉」に気合いを入れて書いたので、是非そちらをお読みいただきたい。
読み終わりました? ありがとうございます。それで、この句には笑ってしまった。「ゑひの歳時記」の文章に書かれた若洲の悩みがそのまま句になった。知らない季語でも仕上げてくる力業はなかなか。これはもう発想勝負であるが、うまくいったのではないか。上蔟を知るのは、もとより興味をもって知ろうとするのは、カイコ関係者と学者と俳人ぐらいかもしれない。縁あって見学が叶った筆者が惹かれて止まないカイコの上蔟、ともすれば情緒に陥りやすい季語だから、逆にここまでズッコケさせたのがそうとう面白い。ところで場所設定については埼玉県を出て群馬県へ着いたようですね。
以上、連作の入りの第1ブロックは、それだけでも十分に完結する構成となった。次回は第2・第3ブロックの句について書いてみたい。なお連作を作るために役立つガイドを若洲が書いているので、よろしければそちらも是非。
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