2023年3月までの記録【ゼロから始める短歌記録〈Vol.2 〉】

ゼロから始める短歌記録
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2022年12月~2023年3月

「激情型」「酔える」短歌

 前回は短歌を作った初日の話に終始してしまいました。2回めは少し話が進むとよいのですが。「ゑひ」前夜、2023年3月までの日々を思い起こしながら書いてみます。

 俳句は数年ほどやっているので、今でこそ短歌より少しははわかっている(はず)ですが、もともと好んで愛読・愛誦していたのは短歌でした。

君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも
          狭野茅上娘子さののちがみのおとめ(万葉集一五巻三七二四番)
(よみがな)きみがゆくみちのながてをくりたたねやきほろぼさむあめのひもがも 

 この歌を知ったのは少女の頃です。多感ですから、「道の長手を」とか「繰り畳ね」とか「焼き滅ぼさむ」とか。もうウットリするしかないわけで。

 ところが今回、確認のために調べたら、自分が長年この歌を誤読していたことに気がついてしまいました。

 奈良時代、狭野茅上娘子さののちがみのおとめは、斎宮さいぐうの女官でありながら、中臣宅守なかとみのやかもりという貴族と恋に落ちて結婚。斎宮は伊勢神宮に奉仕する場所ですから、神に仕える斎王とその女官たちの結婚は禁じられており、で、それが朝廷にバレて、男は越前へ流罪決定。

 この歌の意味は、「私のせいで流罪になってしまって(嘆)。あなたがこれから行く越前までの道を折り畳んで焼き尽くしてしまうほどの天の火が欲しいことよ(行かないで~)」です。当時、背景を知らずに歌だけ読んだ私は、「心変わりして自分を捨てた恋人をこのまま行かせるものか! その先の道なんかゼッタイ焼き滅ぼしてやるんだもんね!」と息巻いている女性の歌だとばかり思っていました。尖った人物に興味を抱く嗜好が、読みの偏向に寄与した気はします。源氏物語でいえば、六条御息所ろくじょうのみやすどころみたいな人に注目しがちで。ところが焼き滅ぼしたいその心情の実際は真逆であり、誠にいじらしいものでした。のめり込んでいた歌だったのに、今ごろ気がつく自分にびっくりです。せめて、この歌にある激情だけは汲み取っていた、ということにしてやってください何とぞ。当時はほかにも、ほとばしってる系に目を留めやすかったみたいで、

ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟コクリコわれも雛罌粟
                  与謝野晶子

たとへば君ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
                         河野裕子

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生
                栗林京子

 短歌が好きな人なら誰もが知る、こういった歌に酔って、短歌っていいないいなーみたいな印象だけ、ずっと持ち続けたつもりですが記憶はぼんやりしています。紆余曲折あってその後、詩歌とは無縁な年月をけっこう長めに過ごしてしまったものですから。

詩歌への復帰としての俳句とそのズレ

 ブランクを経て詩歌の世界に戻ろうとした時、入口が俳句になったのは、たまたまそういう流れがあったから、ぐらいの軽い理由です。入ってみたら句会というシステムが面白かったのと、俳句の短さと当時の心の耐久時間の案配が、いろいろ枯渇していたその頃の私にちょうど良かった。結果的に頭のリハビリになった俳句には感謝しています。

 そして初学の時代をひととおり終えた頃、自分の言葉の型と俳句の型が、いまいち合致していないことに気がつきました。俳句は、悲しいも楽しいも、そのまま言ってしまうと共感を得られないところがあります。感情ではない何かを描写するにしても、言葉数の多さはむしろ邪魔になる。元文学少女で、身についていた言語的なリズムが “物語” であった私の言葉は、俳句においては完全に冗長です。だから事象を切り取るのは非常に苦手でした。物語をただブツ切りにしただけでは、それはまったく俳句にならないのです。

 さらに致命的だったのは、季語に興味が持てなかったことです。これは学習の不足や偏りに起因します。古来の風習や行事には縁がなく、東京に空が無いとは『智恵子抄』の智恵子が言うとおり。自然環境に恵まれない日常にあるのは、イチョウとツツジの植え込みとハエとカ、ぐらい。サンプル数の多い生きものといえば人間ですから、興味はどうしても人間に集中してしまう。理解が深まれば応用もきき、倍々で面白くなるのが学習ですよね。他の対象についての知識の浅さを解消する努力は怠り、当初は人事句しか作れませんでした。

 近年はさすがにそのマズさがわかって、俳句のセオリーを意識するようにはなりました。ただ意識的な句は頭でっかちになりがちで、ノッてない気分も反映されるのか、出来が良くないですね。季語は、少しずつ知っていくことで今では好きなものもありますが、兼題から句を作るのは相変わらず不得意です。特に田んぼ関係の季語は、圧倒的に体験の不足する自分が作る必然がなくて辛い。それでも何とか形だけ整うような、ある種のパターンを覚えた頃から、私の句はつまらなくなったなぁと感じていました。ピークも迎えぬまま、スランプ期に突入していきました。

 17音に入れてもらえない自分の言葉は、俳句の暗がりに、澱のように溜まっていきました。熱心に俳句を作れば作るほど、自身の言葉と俳句形式の間に不一致が生じてしまう。告白すれば、「ゑひ」というユニットを組んで、短歌も作っていいよとなった時、俳句の囲いから出たい、解放されたいという下心が少し、いやかなり先んじてありました。短歌を作り始めた動機は、反動だったんです。

葛藤(2022年冬)

 季節は冬へ。俳句を集団の中で始めたので、短歌は1人で作ることにしました。先生はおらず、歌会へ行く機会もありません。ゑひの事務連絡はすべてslackにおいてなされるのですが、短歌の項目を作り、そこへ歌を出来た端からポンポン送りました。見るのは相方の若洲至1人。若洲も短歌は未経験ですから対応には苦慮したことと思います。基本的に褒める時だけ反応がありましたがこれは態度として正しい。読んでくれる、褒めてくれる相手がいると思えば作ることを止めないので。ナントカもおだてりゃ………のおかげで、平均すれば1日1首のペースで送りつけていた年末です。

和やかな時間となれるスーパーの刺身が痛む人生てふライフ

 あれからまだ半年なのにもう自作が恥ずかしいです。掲載するのも憚られる他の多くはお蔵入りにするつもりです。この歌は、さすがに1人では見当がつかなさすぎて不安になり、歌人の東直子さんの投稿欄に初投稿した歌です。恥ながらすでに一定の目に触れているし、ということで公開します。ちなみに結果はもちろん鳴かず飛ばずでした。

 午後の早い時間帯に、スーパーの「ライフ」で刺身を買った時にできた歌です。半年後の私から見て「和やかな時間となれる」が不明瞭、且つ、つまらないと思います。「人生てふライフ」は、ライフがスーパーであることが伝わらないので、意図を汲まれないどころか、スーパー陳腐に陥りそうです。というわけで技術的なことは論じるに値しないので、いったん横に置かせていただきますね。言いたいことは他にあって。

 半年後に読み返して軽く衝撃だったのが、自作のムードの無さでした。本稿の前半に挙げた有名歌の数々、私は少女の頃からあのような短歌に憧れ、繰り返し愛誦してきたのではなかったのか? 激情を愛したはずの自身から生まれたのが、コレか?

 この件はゑひのオンライン会議でも訴えてみました。薄幸&激情型(+恋愛体質)歌人になるつもりだったのにうまくいかないと。相方の若洲至曰わく「憧れている時点ですでに薄幸でも激情型でも恋愛体質でもない」とのことでした。正論。非常に悲しいです。自分が俳句に向いていない気がするのは “激情型” だから、激情を長々語るには17音では足りないからだと、頭の隅で考えていたからです。なんでしょうかこの自己分析のズレっぷりは。近年、そういうことはとても多いです。

 その理由は、短歌を作る過程でわかってきました。私の短歌にムードがないのは、俳句を作ってきたことが影響しています。冗長だったはずの精神が端的になり、物事をのめり込むより引きで捉え、感情を縷々述べないよう心がけてしまう。そんな自分の心の動きを何度も感じました。これではほとばしることなどできません。俳句凄い。私を変えてしまった。おかげで令和の激情型恋愛歌人への道は絶たれたようです。

 俳句は多作多捨あるのみと、ことあるごとに叩き込まれてきました。余計なことを考えるヒマがあったら句を作る。個性は主張せずとも、自ずと作品の中に現る。語らない・語れない俳句ならではの考え方と思います。

 なので短歌は逆をいこう、“余計なこと”から考えようと思いました。年明けから今春にかけては特に、作風について考えていました。自分が本当に詠みたいものは何か? それをどんなふうに詠みたいのか? という意味です。


 本稿は「とりあえず自分、激情型ではありませんでした」というところまでです。詠みたいものはほかにもあって、グラグラと定まりません。次回は別の方向性にも触れたいと思います。

 そういえば、歌を作り出すきっかけすらわからなくて、この時期はよく歳時記の頁をめくっていました。あれほど季語には興味が無いと言うていたのに、季語から想起した短歌を作るのです。藁をも掴むとはまさにこのことですね。3月に作った歳時記短歌、たとえばこんな感じです。やはり無いですよねぇ……ムードが。

駅前を鳥が歩いてオホーツク流氷カレーセット千円

【流氷】氷流る 流氷期 海明うみあけ

仲春 地理
 シベリア東部から南下する流氷は、一月中旬に北海道のオホーツク海沿岸に接岸し、三月下旬頃になると、沖へ流れ出す。視界から半分以上の流氷が去ると海明という。

ー『合本俳句歳時記 』第五版【大活字版】 角川書店編 ー

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