こちらの記事は、月刊 俳句ゑひ 文月(7月)号の『無題4』(作:若洲至)を、上原温泉が鑑賞したものです。まずは作品の掲載されている、下の本編及び〈①〉をご覧ください!
紺と青の違い
ゑひの月刊俳句ゑひ 皐月(5月)号には、若洲至が発表したこんな句がある。
青髪にしたき卯の花腐しかな
「俳句ゑひ 皐月(5月)号 『無題2』を読む〈中編〉」において、色の考察を中心に据えながら鑑賞しているので、よかったら参照されたい。
さて、どうしてもその続編に思えて仕方がない句が、ひと月置いた文月(7月)号に発表された。
紺色の髪搔き上げてシャーベット
青に若さを見て、その葛藤を読み取った過去作から今号までの間に、作中主体はどうやら髪を青く染めたらしい……どころか今ではそれが紺色になってしまっているらしい。黒髪と紺色の髪の差はあまり大きくなく、光が差さなければ違いはほとんどわからない。今回、そんな紺色を作者が選んだのはなぜだろう。青ではなくて。
紺とは、藍色の濃淡の度合いの中で、紫色を帯びたもっとも濃い青色を指す。日本の染色の代表的な色であり、生前お洒落が好きだった筆者の祖母が紺屋と呼んでいたのは染物屋のことだった。
藍は人類最古の染料ともいわれている。日本に伝来したのは奈良時代。平安時代には高貴な色として珍重され、鎌倉時代の武士たちは「褐色=勝色」として縁起を担ぎ、鎧の下に身に着けていたと言われる。さらに時代を下れば明治期の日露戦争時、当時の軍服は「軍勝色」と呼ばれ、現代もその流れを汲み、プロスポーツのユニフォームの色などに採用されている。
藍の使用が一般化したのは江戸時代。奢侈禁止令によって贅沢を禁じられ、茶色、鼠色、藍色のみが、お構いなしの色として庶民に許された。厳しい制約があればこその、染職人たちの工夫によって、藍四十八色と呼ばれる藍色の多彩なバリエーションが生まれた。
染める過程の色の変化に応じて「甕のぞき」「浅葱色」「新橋色」「鉄色」とだんだん濃くなっていく、個々の和名を眺めるだけでも楽しいその後半に「藍」や「紺」はある。紺色の中でもこれ以上染まりようのないほど濃い最後の紺色を、トメとする意味で「留紺」と呼ぶ。
現代の日本では一般に、紺色との出合いは学校の制服ということになる。みな毎日身にまとうことにより飽きてしまうせいか、大人になると、紺色を間に合わせの感覚でのみ取り扱う傾向にある気がする。就活の紺、背広の紺、お受験ママの紺、紺さえ着ておけば無難とばかりの長い歳月を経た結果、現役引退後の衣装において紺色使用率は低い。そういえば、いわゆる自由業に属する人たちの服装も、紺色は主流ではないように見受ける。
西洋では、紺の英名はネイビーブルー。ネイビーは英国海軍の制服の色に規定されたのをはじまりに、勝利の色として他国の海軍にも採用され、それがビジネススーツのルーツとなった。ただブルーの歴史を遡ると、そうとばかり単純化できる話でもなくて、ゆえに非常に面白いのだが、俳句のコラムとしては、そのあたり東西に共通する部分がありますね、というところまで。
とまれ、つらつら調べていくと紺色には常に、堅苦しいイメージ、何らかの制約が伴っていた。もともと自然界には存在していた色を、人間が文化的に再現し、肯定するためにはまず、権力の体系化を経ねばならなかった。そして、その意味するところは多分に権威的、あるいは抑圧的であり、良くも悪くも社会と切り離すことができない。
掲句、そんな紺色の髪であるという。若洲の作品群には、号を跨いで繋がっていくような、連作の連作とでも言うような匂いがある。夏のはじめ、母なるものからの脱却を試みた主体、夏の終わりに今度は社会に絡め取られたのかと深読みするのは面白い。そんな筆者の読みは青に発して紺へ向かう方向であるが、しかし黒髪を起点とすれば、紺色は区別がつきにくくとも、決して黒ではない。絡め取られながらなお個であろうとする意欲もまた、いまだ健在なのであった。
句の姿は、紺色とシャーベットを掛け合わせて涼しい。紺色がシャーベットの淡い色合いを締め、シャーベットの質感が紺色の濃い色味をほどいていくような補完し合う関係が、選ばれた言葉の間にある。熱かった昭和、静かな平成を経て、令和の処世はしなやかに。この主体、次の出現時には何色になるつもりだろうか。
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